正保越後国絵図

 正保(しょうほう)越後国絵図は新潟県阿賀野(あがの)市は勿論のこと、粟島や小さめの佐渡島も含んだ江戸時代の新潟県全域の古地図です。これは、新潟県新発田(しばた)市立図書館(地図)に所蔵される新潟県指定有形文化財です。

 この絵図に関して、「広報しばた 11月1日号,No1144,2004」では、「元禄時代に新発田藩が借り出し、許可を得て写したもの」等の記述があります。
 また、新潟県立図書館のサイトには、「正保年間のものについては、幕府へ献上した原本は焼失したが、元禄年間の国絵図作成の際に幕府より借用して模写したものが新発田市立図書館に保管されている」等の説明がありました。

 以上より、新発田市立図書館に所蔵されている絵図(下の三枚の写真を参照して下さい)は、幕命により正保二年(西暦1645年==>元号と西暦の一覧表を参照 )に高田、長岡、村上の各藩とともに作成し高田藩がまとめて幕府に提出した絵図を元禄時代(1688-1703)に新発田藩が模写したものと言えます。



                             絵図の五頭山麓の新発田市と阿賀野市の境界付近
      折り畳んだ絵図の表紙
              

 絵図の大きさは、縦5.02m、横10.3mあり通常は折りたたまれているものと思われます。

 なお、上の写真と下の写真は、絵図を図書館側があらかじめカラーコピーしてあるものを許可を得た上で撮影させてもらったものです。また、平成18年10月19日付けで新発田市立図書館長(斉藤 文男氏)名でホームページへの掲載許可をもらいました。

(残念ながら本物は見せてもらえませんでした。文字がかすれたりしていて痛みが激しいため、一般人が本物を見せてもらおうと思ってもちょっと無理かと思われます。折角の国民の共有財産ですので、是非高精度でデジタル化し、いつでも誰でもホームページで閲覧できるようにしてもらいたいものです。)

 ところで、右上の写真に”おかしな箇所”が見つかったので、その右側の半分ほどを拡大してみました。




 上の拡大写真の”月岡”と”本田”の上方に山が描かれています。これが笹神(ささかみ)丘陵(自然のページを参照して下さい)で”羽黒(はぐろ)”、”折居(おりい)”付近の山々は五頭(ごず)連峰だと推測できま。その”おかしな箇所”というのは、両者の山々の間に、”村岡(むらおか)”、”高関(たかせき)”、”山倉(やまくら)”、”船居(ふない)”等が現在の新潟県阿賀野市における位置関係に近い状態で描かれていることです。

 笹神丘陵と五頭連峰の間は、村杉(むらすぎ)低地帯(自然のページを参照して下さい)といって幅が500m程度と狭いため、”村岡”、”高関”などの集落が入るほど広いところではありません。

 すなわち、この絵図における”村岡”や”高関”などの位置は、本来、笹神丘陵の下側に描かれるべきであること、そして笹神丘陵と五頭連峰の間はもっと狭く描くべきだったことが”おかしな箇所”だと考えられます。





 上の写真は国土地理院が1998年に月岡(旧新潟県北蒲原郡豊浦町(きたかんばらぐんとようらまち)、現新潟県新発田市)付近上空4650m撮影した航空写真で 、村杉低地帯の五頭山麓沿いに左右(北北東−南南西)に走る国道290号線と比較しても村杉低地帯の幅はさほど広くないことがわかります。

 以上から、正保越後国絵図はさほど正確ではないことがわかりますが、その理由はどんなところにあるのでしょうか?

 1.単に測量の技術水準が低かった。 2.新発田藩として重要な地域ではなかったため手を抜いた。3.国防上の理由から、わざと不正確にした。4.石高を小さく見せるための細工。 等々考えられますが、
 本当のところが知りたいところですね。

 ご存じの方がいらっしゃったら、是非、ご連絡をお願いいたします。論文の紹介でも結構です。
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