江戸時代の代官は、郡代とともに勘定奉行の支配下に置かれ小禄の旗本の知行地と天領を治めていました。任務は、年貢の徴収、新田開発、近接藩の監視・情報収集等にあったそうです。
寛永年間 (西暦1624‐44)以降は、吏僚的代官が増え、新潟県阿賀野市の水原代官所では、延享三年(1746)に開設され慶応四年(1868)に会津藩預かりになるまでの間、二十二人が交替したそうです。
水原代官所の石高は五万石〜十万石くらいとの事ですが、規模が同じ程度の五条代官所(南大和7万石)では、代官1人、幕臣の手付3人、お抱えの手代10人(士分)しかいなかったそうです(他に足軽、中間はいる)。
また、概ね代官所の支配地は、他の大名の支配地よりも暮らしやすかったそうです。
(以上、阿賀野市HP及びウィキペディア(Wikipedia)を参考にしました)
下の写真二枚が、平成七年(1995)に復元された水原代官所ですが、入館料は大人で300円です。


下の写真は、水原代官所に隣接する水原ふるさと農業歴史資料館です。展示品はちょっと少なめですが、平成9年(1997)にオープンした新しい建物だけに内部はきちんとしています。
極めて珍しい形をした阿賀野市第一級の文化財”四足瓶(須恵器)”も所蔵されていますが、残念ながらこの時は展示されていませんでした。
入場無料で写真撮影が自由、おまけに土産物コーナーもありました。是非、もう一度見学してみたいと思っています。



下の写真は、明治政府が明治二年(1869)二月から明治三年三月まで設置した越後府(明治二年七月からは水原県と改称した)の庁舎の模型です。

縄文時代晩期の横峯A遺跡から出土した長さ20cm位のきれいに研磨された独鈷石(どっこいし、とっこいし)。密教仏具の独鈷に似ていることから独鈷石と呼ばれています。岩石の種類や産地は不明(解説がありませんでしたが、硬そうでした)。
独鈷石は祭器の一種とも言われている用途不明の石器で、北海道から九州まで全国各地で出土しています。新潟県阿賀野市では、旧安田町の藤堂遺跡からも出土しているそうです。
弥生時代前期から中期にかけての猫山遺跡(新潟県阿賀野市旧京ヶ瀬村)から出土した翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)。研磨が不十分なところから制作途中のものでしょうか?
翡翠のモース硬度は7程度以下で(ダイヤモンドが10)、水晶よりちょっと低めですが、繊維状もしくは針状の結晶が絡み合っているためあらゆる鉱物の中でもっとも割れにくい性質があります。
翡翠文化は日本が最も古く、産地も東アジアでは新潟県糸魚川か富山県翡翠海岸そしてミャンマーに限られます。韓国南部から出土される翡翠の勾玉も日本から運ばれた可能性が高いそうです。

弥生時代前期から中期にかけての猫山遺跡(新潟県阿賀野市旧京ヶ瀬村)から出土した石鏃(せきぞく=)です。茎のあるもの、無いもの、返りのある大型のものなど形は多様ですが、研磨はされていません。
また、残念ながら岩石の種類に関する解説はありませんでした。

弥生時代前期から中期にかけての猫山遺跡(新潟県阿賀野市旧京ヶ瀬村)から出土した深鉢。底が尖っているので地面に半分埋めて使用していたのでしょうか?
